変わらないから、懐かしい。今も受け継がれる秘伝レシピ。

昭和40年頃に先代社長が開発した「さば朝鮮漬」は、今なお変わることのない懐かしい味わい。多くの人に愛され続ける、ヤマグンの看板商品です。

味・素材

先代社長から受け継いで50年以上も守りぬく秘伝のレシピこそが、ヤマグンの変わることのないこだわりです。

味・素材

設備など

自社の冷凍庫に保存してある魚を、毎日使用する分だけ取り出し、解凍・下処理をして独自の機械でしっかり味付けしています。

設備など

仕事人

変わらないから、懐かしい。
この味を守り抜く。

有限会社ヤマグン 代表取締役 髙橋哲朗

なくしかけたレシピ。
自分の中に、みつかった。

「40数年間変わらない味を守り続けています」。そう語ってくれたのは、有限会社ヤマグンの代表取締役、髙橋哲朗さん。守り続けているのは、看板商品「さば朝鮮漬」。先代社長が、苦労してつくり上げた味だ。
食べさせてもらったその味は、ほどよい辛味がたまらない、クセになるおいしさ。食がどんどん進む。
発売当時から、パッケージデザインも変えていない。ただ、当時は真空パックの技術がまだなく、簡易包装だった。「小学6年生の頃でしたか。ステープラーで留める作業を手伝って、小遣いをもらった記憶があります」と笑う、髙橋さん。
その受け継がれた大切なタレを、秘伝のレシピを、あの震災が奪い去った。
しかし、40数年間慣れ親しみ、40数年間つくり続けてきた味は、簡単に消え去るほどヤワじゃない。今も変わることのないヤマグンの味は、髙橋さんが「頭から取り戻したレシピ」によって復活した。
ヤマグンが稼働を再開するまで1年半の時間を要したが、その間も「絶対にやめないで」「再開したら、すぐ送ってください」といった、たくさんの熱い励ましに支えられた。

つくる喜びにあふれた、
ヤマグンのお城。

ヤマグンは現在、気仙沼鹿折加工協同組合の協同施設に事務所と加工場を構える。加盟各社が組合としてできる、仲間同士の応援。贅沢なスペースはないけれど、必要なものはすべて揃った施設でフル稼働している。
下処理室に置かれた冷凍庫の中には、丸ごと冷凍のサバがずらり。常時1トンほどが保存されている。毎日ここから、翌日使う300kg分を取り出して自然解凍…つまり日曜日にも月曜日分を取り出す。「そうですね、365日ここへ来ます」と髙橋さん。「休むことより、こうして仕事ができることがうれしいですよ」。
解凍された丸ごとのサバは、さばいて、切り分け、塩処理をし、秘伝のタレの登場となる。味つけは、塩蔵わかめをつくる機械を改良したもので、身をくずさぬよう優しくグルグルまわしながらタレをからめる。
味つけされたサバは、隣りの袋詰め・梱包室で手作業によりていねいに袋詰めされ、真空包装機で真空パックに。最後に、汗にも反応するという金属探知機を通し入念なチェックを行って、「ヤマグンの箱」に詰められる。ヤマグンの看板は、こうして、地元気仙沼や県外へと旅立っていく。

休まず前へ進むこと。
夢も連れて、一緒に。

髙橋さんは気仙沼に生まれ、高校時代までを過ごした。東京の大学へ進学し、卒業後はパパイヤを扱う果実商社に就職。その後、コンピューターのシステムエンジニアに転身した。当時はどちらも時代を先取りする草分け的な職業。ビジネスのノウハウを学ぶ貴重な経験となった。
29歳で気仙沼へ戻り、ヤマグンへ。久し振りの味を懐かしく感じた。「変わらないから懐かしい。変わらないから愛され続けている」。髙橋さんはその時しみじみ、そう思った。
現在、髙橋さんは、県をまたいだ一関市室根の仮設住宅に住む。「住宅事情で大きな物を置けないので、これが今の楽しみ」と、仕事のあとは好きなスコッチウイスキーをたしなむ。そんなとき「新築8年で被災してしまった家をもう一度…」と夢を想う。
今、365日、休みなく前へ進んでいる髙橋さん。夢もまた、休むことなく、一緒に前へ進んでいる。