三陸の環境を活かしたものつくり、それがごちそう缶詰の「ミヤカン」

ものつくりで感動を!

選ぶ

「目利き」による確かな原料調達。
原料の鮮度へのこだわり、気仙沼漁港から約2キロという好立地を活かし、水揚げ情報に精通した自社選任の仲買人(目利き)が責任をもって原料を買付、調達しています。

創る

最新設備と熟練の技
工場に持ち込まれたお魚は、カットから缶に詰めるまでを短時間に行っているので鮮度の良さが違います。国際規格の食品安全マネジメントシステムFSSC22000の認証を取得する事で安心安全を担保しています。

共に

改めて見つめなおされた絆
調味料へのこだわり、復興を共に誓う同志として、地元を代表する醸造メーカーの醤油・味噌を厳選して使用しミヤカンにしかない新しいおいしさをつくり続けています。

仕事人

節目を迎えた
ミヤカンが動き出す

株式会社ミヤカン 代表取締役社長 福島庸夫

震災を乗り越えて

東日本大震災で工場が全壊しましたが、2015年4月水産加工の集積地である鹿折地区の復興第一号として新生ミヤカンが稼働再開致しました。
再開当時私は、親会社の清水食品の名古屋支店長として営業全般を担っていました。震災当日は、事務所の移転日と重なり高層ビルも影響してか、長く大きく揺れを感じその恐怖感は、今でも鮮明に覚えています。まさか気仙沼のミヤカンが全壊してしまうほどの大惨事が起きていようとは想像も出来ませんでしたが、悲惨な情報が入るに従い不安が募っていくばかりで現実を受け入れたくない思いであったと記憶しています。ミヤカンでの新たな生産が出来ず、水産製品の在庫も底をつき、一部製造委託で繋いでいましたが、再開までの4年間、失われた販路の復活は容易ではありませんでした。
2015年4月竣工式を迎え同月、お取引先様をお招きした新工場内覧会に参加、当時のミヤカン社長(寺田正志)を中心に清水食品の経営層、幹部社員が再開に期して盃を交わし販路復活や、将来に向け熱く語り合いました。私自身、今この再開したミヤカンを目の前に、復興の立役者となれた幸せを噛みしめ「絶対にやる!」と誓い決意を新たにした。

復興そして創生に向けて

再開から2年後の2017年10月ミヤカンの取締役として赴任、2019年6月社長に就任しました。水産系の製造部門は初めての仕事で有り、初めての東北での生活など不安も有りましたが、今までの経験や復興を誓った想い、前社長の再開までの苦悩や想いを受け継ぎ、生え抜きの役員の力強い後押しにも助けられ仕事に邁進しております。
震災から10年以上が経過し、復興から創生に向けて新たなステージにスピード感を持ってチャレンジしています。工場の入口のラウンジスペースでは、ミヤカン製品の販売を行うと共に、スペースを利用し、地元の写真家の撮った風景写真展を開催するなど様々なイベントを企画して盛り上げています。ラウンジ奥からは、工場の充填室が見える様ガラス張りにしていますので、地元の小中学生の社会科見学や水産資源の持続性、SDGsの観点から大学生の実習や研修会、ワークショップへの参加、インターンシップも積極的に受入れています。
近年の水産原料の水揚げ減少、特に「さんま」の不漁について大変深刻な問題であり、ミヤカンの代表的なさんま缶詰も不漁により一時は、製造を断念しましたが、ここで絶やしてはならないとの想いやお客様からの後押しもあり、水揚げしたばかりの新鮮な「さんま」原料を素早く工場に持ち込み、缶に詰めた「生詰め製品」などの新製品を積極的に展開しています。
ミヤカンの強みは「気仙沼にあること」この環境を最大限活かし、工場の生産性向上、デジタル化を推進していく事で個社の繁盛だけに固執せず鹿折加工協同組合、気仙沼地区の水産業全てに貢献し地元で愛される存在になりたい。微力ながらこの事業活動が気仙沼の人口の減少対策の一助になるとともに、住み易い環境を確保して、将来にわたって活気のある街になると確信しています。