おいしさをお手軽に、バラエティ豊かに。

気仙沼産のふかひれを使用したふかひれスープをはじめ、さまざまな缶詰・レトルト商品をおとどけする気仙沼ほてい。これからも、食の楽しさ、おいしさを広げていきます。

味・素材

バラエティ豊かなふかひれスープをはじめ、茶碗蒸しや丼の具などのレトルト商品や、缶詰商品など身近なおいしさをお届けします。

味・素材

設備など

さまざまな商品づくりに対応する気仙沼の自社工場設備で生産しています。

設備など

仕事人

おいしさを、育てたい。
情熱を、育てたい。

気仙沼ほてい株式会社 製造部 次長 尾形健彦 (現;生産部 執行役員)

出身は、海なし県。
でも今は、気仙沼が故郷

案内された応接室の目の前に、ずらりと商品が並べられた。気仙沼ほてい株式会社は、ふかひれ生産量日本一の気仙沼産のふかひれだけを使った、バラエティに富んだ味わいのふかひれスープの会社。そのほかにも、茶碗蒸し、丼物の具などのレトルト商品や、缶詰商品をつくっており、これらの商品は東北地方のみならず関東の百貨店などでも売られている。
2015年、30周年を迎えたこの会社は、昭和28年に気仙沼食品株式会社として創業後、グループ会社との合併を経て、昭和59年に気仙沼ほてい株式会社となった。
製造部次長の尾形健彦さんは、栃木県宇都宮市生まれ。地元で高校生活を送ったあと、北里大学の水産学部に進んだ。「栃木は〝海なし県〞なんですけどね」と笑う尾形さんだが、昔から無類の釣り好きだったこともあり、水産の道への進学は自然の流れだった。
大学生活1年時を神奈川県の相模原キャンパスで、2年時から卒業までを岩手県大船渡市の三陸キャンパスで学び、新卒採用で気仙沼ほてい株式会社の一員となった。気仙沼での時間は、宇都宮で過ごした時間をもうとうに越えている。尾形さんにとっても、すでに独り立ちした3人の子供たちにとっても、今はここが〝故郷〞である。

ガマンと向き合うこと。
それは、好きな釣りの教え

その故郷を襲ったあの震災で、尾形さん自身も、会社も、大きなダメージを負った。会社ではすべての工場、冷凍冷蔵庫、倉庫が全壊し、一時、事業の休止を余儀なくされた。そんなときに届いた、「ふかひれスープはいつからまた食べられますか」というお客さまからの問い合わせ。「待っていてくれる人がいるんだ…」。その声が、尾形さんを奮い立たせ、背中を押してくれたという。魚市場からも「氷をやってください」との切実な声が届いた。じつは気仙沼ほてい株式会社は、加工食品と並んで、業務用の角氷の製造・販売も事業の大きな柱のひとつ。毎日、気仙沼魚市場にあがる海の幸の鮮度を保つために、気仙沼ほてい株式会社の氷が舞台裏で重責を担っている。
会社に寄せられるお客様の期待に応えるため、今日までがむしゃらに仕事に取り組んできた尾形さん。自宅も被災し、現在は岩手県の公営住宅で、奥さんと義理のお父さんと3人で仮住まい。当然のことながら、不便はたくさんある。「でも今はまだ、ガマン。ただただ、ガマンですね」と、これから先を前向きに見つめている。「ガマンはキライじゃないんですよ。これは子供の頃からの〝釣りの教え〞ですから」。なるほど、尾形さんの忍耐強さは大好きな釣りと向き合う時間が培ってくれたものだったか…と、納得させられた。

若い力とともに
おいしさをつくる喜び

工場を見せてもらっていると、ピカピカのさんまが缶に詰められている工程に出くわした。きれいに下処理された生のさんまが3cmほどの長さの切り身にされ、丸い缶の中に、まるで菊の花びらのように美しく並べられていく。「あれはお刺身で食べられるさんまですよ」と尾形さん。じつはこれ、気仙沼ほてい株式会社の隠れたヒット商品「秋刀魚味付」である。この缶詰を食したときの感激は、ちょっと言葉では言い表せないほどのものだった。
会社の未来を見据え日々全力を注ぐ尾形さんは、若い人材を育てることにも情熱を注いでいる。「若い力が会社を、気仙沼を支えていかなくちゃ」と。「でもね、いろいろガマンのしっぱなしです」と笑う。ガマンからくるストレス発散のために、今週も竿を片手に釣りへ行く。