三陸沿岸の秋鮭でつくる、飽きのこない優しい味。

そぼろにふさわしい鮭のおいしさを追求し、完成した味。
カナエフーズの「鮭そぼろ」は、多くの人に愛される飽きのこない味わいです。

味・素材

三陸で漁獲された新鮮な秋鮭を原料に、そぼろ商品としての鮭のおいしさを追求し、より多くの人に好まれる味わいを実現しました。

味・素材

設備など

現在製造工場を持たないため、仕入れ、味付けのレシピを提供し、同組合のあかふさ食品に製造を委託しています。

設備など

仕事人

海を渡って、腕を磨いて、
たどりついた味。

カナエフーズ株式会社 代表取締役 小野寺孝二

自分の道を、海にみつけた。
いつか、また気仙沼に。

気仙沼で水産加工業を営む会社は、家業として代々受け継がれていることが少なくない。そんな中にあって、カナエフーズ株式会社の代表取締役、小野寺孝二さんは異色の経歴の持ち主と言えるかもしれない。
気仙沼に生まれ、高校までを地元で過ごした小野寺さんは、医師になることを夢みて、大学の医学部を目指した。浪人してもなお勉強を続けた小野寺さんだったが、浪人中のある時、病気で短い入院生活を経験することになる。そこで、笑みの少ない担当医を見て「オレは医者に向いていないかもな」と直感し、病院で医師になる道と決別する。
元気になって退院し、どの道に進もうかと考えた時、頭に浮かんだのが「水産」だった。水産業とは無縁の家に育ったが、海の街・気仙沼のDNAがしっかりと組み込まれていたのかもしれない。
北海道大学水産学部漁業学科へ進み5年間を終えると、さらに1年、特設専攻科で船乗り実習などを経験した。
大学卒業後は、東京・築地市場で冷凍魚を扱う水産問屋に就職。そこに7年近く勤めたあと、先輩が独立してつくった同業種の会社に誘われ参加する。

東京での社会人時代は、毎年のようにアラスカやカナダへ赴任した。春のニシンの時期や夏のサーモンシーズンに数か月間、長い時には半年もの間、加工船の上で仕事をした。
「3年で気仙沼に戻る」と、就職の際に父と交わした約束は、もうずいぶん過ぎていた。「ほんとは帰って水産学校の教師になろうと思って、資格も取ってあったんだけどね」と笑う、小野寺さん。  気仙沼に戻り2009年6月、いよいよカナエフーズを立ち上げる。市街地から少し離れた赤岩の住宅街に構えた事務所。中学時代に使っていた机を引っ張りだしてのスタートだった。

おいしく、飽きない、
鮭そぼろをつくりたかった。

「カナエの鮭そぼろ」。これが小野寺さんがつくり上げた商品。長年にわたり鮭に携わってきて肥えている舌は「鮭は鮭として食べるなら、塩だけがうまい」と思っている。ただし、そぼろ商品にするならば「より多くの人に好まれる味にしたい」というのが小野寺さんの思いだ。三陸沿岸で漁獲された新鮮な秋鮭を使って、飽きのこない優しい味に仕上げている。
仕入れも味づくりも、もちろん小野寺さんが自ら行う。しかし、じつは、カナエフーズは製造工場を持っていない。製造は「そぼろ」という共通ジャンルの商品・製造ラインを持つ、同業のあかふさ食品に委託している。同じ鹿折加工協同組合の組合員仲間としての協力関係だ。
現在、「カナエの鮭そぼろ」は近県や東京などでも売られ、業務用としてアメリカにも輸出されていて、今後はインドも視野に入れているという。
震災のあとは原料が手に入らなくなり、苦労の連続で、黒字が赤字に転じたりもしたが、それは乗り越えて今日まで頑張りとおしてきた。学生時代に柔道や空手で鍛え上げた小野寺さんの身体と心はダテじゃない。「これからも、やるしかない、進むしかない」と前向きだ。
そんな小野寺さんは、気は優しくて力持ち、を、絵に描いたような人。この言葉がぴったりくる。お酒も、楽しく豪快に飲む。「苦しい時も、笑っていくよ。オレが笑えなくなったら、ダメだろう」。
お医者さん姿の小野寺さんもきっと素敵だったろうけど、今の小野寺さんのほうが、多分、だんぜん、カッコイイ。